水曜日 3月26日
5時45分に起床。曇。
胸の内、と言うと、胸の外も在るように思えてしまいますが、在りません。“内”と言うから“外”を想定したくなりはするのですけれど、元々胸の内とは比喩、私の思っていること、であって、これは語ることが出来るのですけれど、胸の外とは私の思っていないことになるのですから、語ろうにも語りようがないのです。語りようもないもの、語れぬものは、つまりが無いのです。存在しないのです。
「黄鳥」が届きました。
夜の8時から、退職される方の送別会がありました。他の店で浅酌をしてから、送別会に。激しい雨には降られませんでしたが、雨。若い人たちは送別会からカラオケへ。私は帰宅。歳の所為なのでしょう、心が脆くなっているようです。
日曜日 3月23日・三連休の三日目
6時50分に起床。晴。南の空に今日も半月。
毛布一枚で寝てしまった所為なのか、木住野佳子を流しっ放しで寝てしまったのが原因か、朝から鼻水が。それにしても木住野の曲は、何をするにも邪魔になりません。これに近いのはマイルスの前期、それに寺井尚子くらい。最近は時々ですがガトー・バルビエリを使うことがあります。所謂作業用BGMは、何故か今ひとつ乗れないのです。
パソコンのデスクトップの画像を変えました。胡桃を両手にした栗鼠が、こちらをじっと見てくれている画像です。この栗鼠に名前を付けようと思っているのですが、雄とすべきか雌とすべきか、迷います。
午後3時、「月の匣」の原稿をメール送信。三日間に渡る格闘は、力量を思い知らされて終わりました。それでも、終わりました。さあ、残った休日、先ずは部屋の掃除から始めることに。
多田道太郎の『しくざの日本文化』(講談社学術文庫)を読み終えました。いろいろと考えさせられたのですが、その結果は、具体的な俳句の読みを通してしか表現できそうにありません。それも、上っ面だけを使うと、とんでもない落とし穴に落ちてしまいそうで怖いのですが。
土曜日 3月22日・三連休の二日目
6時15分に起床。晴。南の空に白く下弦の半月。
朝から只管に「月の匣」の3月号に立ち向かいました。しかし、この“立ち向かう”が私の気負いなのでしょうね。なかなか書けず、結局、約半分にて断念。私の場合、この書けない状況において、何かとチョコレートを口に放り込む癖があります。家のストックも危なくなりましたから、相方の買い物の折、板チョコを所望いたしました。3枚も買ってきてくれましたから、明日はこれで乗り切ろうと思います。
夕食の折、頂き物の京の春菊を相方が天麩羅にしてくれました。京の春菊、成る程、ただの春菊とは異なるようです。この美味しさをどう表現したら良いものか、味の記述、難しいったらありせん。味が解るとは、畢竟、その味を言葉に置き換えられるということだと思うのですが、この意味でも、私は味音痴と言う他はありません。
若井新一氏より句集『雪形』が届きました。
金曜日 3月21日・祝日
5時50分に起床。雲はあるものの、晴。
今年の彼岸の入りは暖かでしたが、春分の今日は寒い一日に。正岡子規の母親の言葉も今年は通用しなかった、ですね(毎年よ彼岸の入に寒いのは/子規)。それでも、暑さ寒さも彼岸までなのですから、そして3月ももう終わりなのですから、来週はきっと暖かい日が続くのでしょう。でも、そうすると、花粉症、ですね。
8時半に家を出て常光寺に。お墓を掃除し、帰宅は9時半。この時間ならば、まだ道は混んでいません。渋滞はまったくなしでした。
夕食は七里ヶ浜のPホテルにて。予約を5時半と早めにしておいたお陰で、良い席を確保して貰えた上、夕方から夕暮れ、そして夜景への相模湾を眺めることが出来ました。視野には三浦半島は勿論、夕空にシルエットとなった伊豆半島、そして大島も(相方の席からは、当然のことながら江ノ島も)。ところで、この日、私にとっては初めてのことだったのですが、大島の右に二つの島を視認することが出来ました。ホテルの方に尋ねますと、初島と利島、とのことでした。しかし、帰宅して調べてみますと、初島はどう考えても伊豆半島のシルエットの中に在った筈で、これはあり得ません。大島と利島の影とならずに七里ヶ浜からの眺望に入り得るとすれば、神津島、でしょうか。神津島の手前の新島と式根島は、地図に見る限り、利島と一つのシルエットになってしまいそうなのです。ただ、これは、地球の丸さを考慮に入れていませんから何とも言えません。兎に角、七里ヶ浜から、大島以外の伊豆七島を初めて見ることが出来たのは確かなようです。
※国土地理院の立体図で確認をしました。大島と利島の間に小さく見えていたのは、新島の上の部分(島の山のいずれかの上部)であったようです。ただ、可能性としては、小さく見えていたのが利島、その右が神津島ということも。国土地理院の立体図も、残念ながら地球の丸さまでは考慮してくれていませんでした。
木曜日 3月20日
5時40分に起床。曇。天気予報は雨。そして、7時過ぎにはその雨に。
ハラルト・シュテュンプケの『鼻行類』(平凡社ライブラリー)を読み始めました。「鼻行類」は「びこうるい」と読みます。ハイアイアイ群島に生息していた一群の哺乳類についての生物分類学的な一書です。非ユークリッド幾何学を未だに理解しない私が言うのも何ですが、科学って何なのでしょうか。しかし、少なくとも、この本の図版を見ているだけでも、それだけでも、この本を手にした価値は充分にあると思います。
この本の翻訳者の一人である日髙敏隆は、科学は芸術のようでなくてはならない、と言ったのだそうですが(『ネコはどうしてわがままか』の解説よりの孫引き)、科学の文章も読み手の想像力を豊かにするものなのかも知れません。ふと思い出したのは、高校時代、数学は答が正しければ良いのではなく、そこに到る過程の美しさこそ、と教わったこと。それと何処かで通底しているような気がするのですが、どうなのでしょうか。
月曜日 3月17日
青の月曜日、ではなかったのですが、寝坊をしてしまいました。それでも相方が勤務先まで送ってくれているお陰で、遅刻はしませんでした。
お客様から、折り紙で箱を作ってくれ、と言われ、ネットの折り紙のサイトに行き、作り方を印刷し、折ってみました。何とかなりましたが、折り紙、奥が深そうです。
日曜日 3月16日
6時半に起床。曇。
8時半頃に家を出、勤務先に2時間弱、12時前に帰宅。
午後は、特養に父を訪ねた小一時間を除けば、この二ヶ月の句稿の整理。そして日が西に傾いた頃、18句を俳誌に投函。次の投句締切は5月20日。随分と先、なのですが、皆さんの協力を得てテンションの落ちないようにしなくては。二ヶ月に一度の投句は、私に限れば、明らかに質の低下に繋がってしまったように思えます。秀さんに叱られないよう、何か方策を考えないといけませんね。さて、「月の匣」の原稿、最終回です。今夜あたりから、しっかりと読み込みを始めなくてはいけません。
第三土曜日 3月15日
起床6時15分。雲間もありますが、曇。
ユクスキュルの『生物から見た世界』が面白くて、なかなか俳句の方に向くことが出来ません。更に、朝から鼻水が。鼻水を止める薬を飲んだのですが、8時半現在、効いていません。璞の会の幹事から、今日の句会は開場の遅くなる旨のメールが入りました。これ幸いと、出発を遅らせることに。
町田の VELOCH に12時過ぎに着き、13時半近くまで作句。その後、ブックオフに寄り道をしているところにMさんから電話。立ち読みをしていた中村和弘の句集を慌てて買ってしまって、公民館の句会場に。間に合いはしましたが、話が違うじゃん、ではありました。
水曜日 3月12日
6時起床。薄曇り。5時頃に地震で目覚めたのですが、すぐにまた寝てしまいました。杢保さんの風邪薬の所為か、腹具合がイマイチ。喉の痛みは止まっているのですから止めてしまってもよいのですが、治ったという感覚もないのです。困りました。
パソコンとネットに振り回されない生活を、とは思うのですが、難しいものですね。
日髙敏隆の『人間はどこまで動物か』を読み終えました。タイトルはあくまでもタイトル、むしろ『続・春の数えかた』であったかと思います。動物行動学の先生のエッセイ、と言うべきかも知れません。面白く読めたのですが、ただ読むだけでなく、本当はそれぞれからこちらが何かを考えねばならない本でした。しかも、単に考えるのではなく、自分自身の問題として深く考えねばならないという気がしました。要するに、考える切っ掛けを提示している本、なのでしょう。