4月10日 木曜日

5時半起床。うっすらと晴。

 

■ 春の夜の斯くて面相筆撓ふ  瀧澤和治

「今」第5号より。

顔の細部を描くのに使う画筆、面相筆を春の夜に使う、しかも撓う、とすれば描かれているのは女性の顔、というのが使われている言葉からの印象です。面相筆は撓うからこその筆、画筆としてより小筆として、その撓うことを愛して普通に使われている気がするのですが、ここは「斯くて」に込められた春の夜の更けていく様を、艶に読み取るのが妥当なのでしょう。

 

勤務の帰路、ネット発注の本の支払いをナナコ(Nanako)で。チャージして支払い、要するに“小銭を持たない”は、便利なのか不便なのか、まったく解りません。

 

青空文庫を読む為のアプリ、NReader2 をインストールしてみました。紙の本を愛している身には、パソコンで何かを読むという行為には違和感だらけ。どうなのでしょうね。

4月9日 水曜日

6時起床。うっすらと曇っていても、晴。

 

昨日、大竹多可志氏から『芭蕉の背中』を戴き、俳句同人誌「今」が届きました。共に大変に有り難いことと思います。

「今/ KON 」は読みでのある俳誌です。私は龍太を、自句自解を別にすれば、直人・甲子雄の文章から学んできました。その直人・甲子雄については、不勉強の故にほとんど知りません。「今」は蛇笏・龍太のみならず、甲子雄についての多くの文章が掲載されています。今回もそうでした。俳誌に対しては失礼なことと思うのですが、昨夜来、その様な文章ばかり読み耽っています。

 

勤務からの帰路は、久し振りにバスで。途中、ジュンク堂に寄り、文庫を一冊購入。帰宅するとネット発注の文庫本2冊が届いていました。

4月7日 月曜日

今日は、朝は寒く、昼は晴れて暑く、夕方からはやや寒く、でした。

昨日、ネットで文庫本を2冊発注しました。

今日は、おとなしく読書をします。

明日は、小石川後楽園、吟行です。天気は、良いみたいです。

4月6日 日曜日

4時に起床。布団の中で句集に目を通しつつ。

6時、曇。道には、まだ雨の降った痕が。鴉が随分と鳴いていて。

今日は市川の流の会。それと、今日から掲示板句会。やっと俳句のモードに。

土曜日 4月5日

6時40分起床。曇。

昨夜は、大和で支店内の施設拠点事務方6人の飲み会がありました。普段は電話で連絡を取り合っているだけの、後は拠点の小口精算の折に支店窓口で顔を合わすだけの関係なのですが、事務処理的な問題では何かと助け合っているだけに、社内的にはもっとも近しい関係かも知れません。一拠点一人の事務方は、施設スタッフとは全く異なる業務内容ですし、孤独な作業も多いのです。それに、私が入社当時は“たかが電話番”待遇(時給は所謂最低賃金でしたし)でもありました。今でこそ“事務職”ですけれど、その分、要求される内容も高くなっています(当然、ですね)。それでも、賃金に見合っているか、と問われれば、かなり安いとは思います。

 

朝、勤務先に行き、ほんのちょっとだけ事務処理。

 

昨夜は帰宅後、エスビョルン・スヴェンソン・トリオ( E.S.T. )を流しっ放しにし、今日はアヴィシャイ・コーエン( Avishai Cohen )を流しっ放しです。スヴェンソンもコーエンも、私がジャズのレコードを聴いていた頃には、たぶん、ジャズの世界にはいなかった人たちだと思うのですが。・・・と、さて、“俳句”しなくっちゃ。先ずはメール句会の選句です。

 

三輪小春さんの『風の往路』が届き、「りいの」が届きました。

 

野矢茂樹著『大森荘蔵-哲学の見本』を読み終えました。読み終えた、という表現の意味に即することが嫌で、目を通し終えた、という表現を多く使ってきたのですが、結局は同じことなので、今後は素直に、読み終えた、を使うことにします。

さて、『大森荘蔵-哲学の見本』を読み終えての感想なのですが、やっぱり哲学は解らない、でした。この本で記憶に残った大森の言葉を一つ引いておきます。

「ヨウカンの切り口にはヨウカンはない。だから切り口をいくら集めても一片のヨウカンもできない。」

直線上には無数の点がありますが、その点を幾ら集めても、仮に無限個の点を集めたとしても、それが線になることは決してありません。これは、線と点の定義から明らかなことなのですが、ノートに線を引き、点を記していたりすると、まったく忘れがちな事実です。だから、どう、は、ここには記しません。野矢や大森にとっての哲学の問題も、私にとっては“単なる”俳句の問題に過ぎません。「ヨウカンの切り口」も、私にとっては正に俳句の上の問題なのですが、その中身は熟すまで待って戴く他はありません。

水曜日 4月2日

5時45分起床。曇。

午前中、勤務先の花見がありました。花曇になってしまいましたが、桜は満開。私は留守居役、電話の番をしながら業務をこなすのみでした。帰宅間際に降り出した雨は、どうやら花散らしとなりそうな。

 

チリの大地震津波の恐れが明日の相模湾にもあるとのこと。

   ※相模湾津波予報に留まりました。

 

「月の匣」が届きました。

火曜日 4月1日

5時50分起床。曇。ラジオはあちこちの桜の満開を伝えていました。昨日の勤務地周辺は、満開とまでは言えませんでしたが、今日明日なのかも知れません。

 

先月後半は大森荘蔵の拾い読みをしていたのですが、今ひとつ読めませんでしたので、土曜日の夜から野矢茂樹の『大森荘蔵-哲学の見本』の再読を始めました。しかし、この本も「立ち現われ」のあたりから、解っていたつもりだったのですが、怪しくなってきてしまいました。そう簡単に解る筈もないことなので、急がずに読もうと思っています。

 

消費税8%の第一日目でした。不思議だったのは、四月馬鹿、エイプリル・フールの嘘を一つも聞かなかったことです。昔と違い、嘘、冗談が通じない世の中になってしまったのでしょうか。世知辛い、ということなのかも知れません。

 

ふけとしこさんから「ほたる通信」が届きました。

   にはとりが卵を抱く気松の芯  としこ

ちょっと哀しい句でした。

月曜日 3月31日

5時50分に起床。晴。

 

兎に角も月末。月末の支払い、〆の処理に決算の処理、それに勤怠の処理。月の始めも忙しいのですが、結局は末日に何処まで出来たかが鍵なのです。

 

髙橋雅世氏から『月光の街』が届きました。

日曜日 3月30日

5時15分起床。小雨。

 

メール句会の6句を作り、送信。朝から Miles Davis を流しっぱなし。

窓の杜』の記事を読んで、「写真のタイル」をインストールしました。スタート画面に写真をピン留めするだけのソフトですけれど、使っていないスペースに“栗鼠”を飼うことにしました。

 

中村和弘句集『蝋涙』を読みました。

 

部屋のパソコン周りの片付けました。場所を取っていたXPを圧縮し(まだ捨てる訳には・・・)、Windows8.1 周りを広くしました。序でに、XPの最後のアップデートも。今後のXPはネットに繋がずに使う、と言うことになりますが、煩いネット絡みは外してしまおうと思っています(何かと表示される警告の類を排除したいだけですけれど)。

 

中根美保さんの『軒の灯』が届きました。

 

夜、次男一家が来ました。テラスモール湘南の帰りに立ち寄ってくれたのですが、こちらはすでにワインのボトルを二人して半分以上飲んでいて、つまりが出来上がっていて、夕食をサーブするのみでした。シューちゃんが試合で初得点を記録したのだそうな。そのお祝いに、何かを買って貰ったようでした。

土曜日 3月29日

6時55分に起床。薄曇り。

よく眠れない夜が続いていて、心身に鈍さを感じます。「心身」と書くと、「心」と「身」とは別物的になってしまいますが、どうなのでしょう。昨今の私には、結果としての現れは分別できるとしても、根は同じ、という気がします。

 

昨日、相方が、バッグを二つも買って来てくれました。どう使おうか、と考えています。どちらも仕事以外の外出用になりそうです。

 

勤務先に行き、少しだけ仕事(昨日の夜に届いた荷物の、入出庫処理と売上処理)。お昼前、長男一家が来ました。そして、昼食後、辻堂のテラスモール湘南へ。ミーちゃんに誕生日祝の靴と眼鏡を。眼が悪くもないミーちゃんご所望の眼鏡、花粉症対策の洒落た眼鏡のコーナーにキッズ用が置いてありましたので、それで一件落着。後はアイスクリームを一緒に食べてお別れ。ウー坊は、Padでゲームさえしていればおとなしく、スーちゃんは、大きな目をして寝る子は育つでした。

 

夜、浅酌。

金曜日 3月28日

消費税に決算、その他もろもろに追い回され、胃が・・・。問題は一つ一つクリアしていく他はないのですけれど、その過程、必ずしもスムーズではなく、内に苛立つばかり。そんな今日の最後も、佐川急便の荷物が退勤時間になっても届かないトラブルが。でも、一時間ほどの待ちで済みました(待たされたあげく、明日、なんてことになったら、何かに当たり散らしていたかも知れません)。届いた九つの荷物を片付け、退勤。相方と食事をして帰宅。

木曜日 3月27日

昨夜、変な寝方をしてしまった所為で、目覚めも悪く、眠くて仕方のない一日に。雨、と言うよりも靄っている感じの朝でしたが、一日を通し、静かな雨が降り続いていたようです。私自身は、傘を一度も差しませんでしたけれど。