4月13日 日曜日

6時15分起床。すっきりとではないのですが、晴。

 

昨日の大井町への往復の際、山下一海の『芭蕉百名言』の拾い読みをしました。この本、購入してより常に座右なのですが、芭蕉の言葉は当然として、山下のそれに対する読みに共感すること多々なのです。それに、考えさせてくれることも多く、むしろこちらこそが座右の理由なのですが。

さて、フリッツ・マウトナーの

「文法の誤りなどというものは、文法が発明される以前にはまったくなかった」

なのですが、この言葉の一つの読みようとして、私自身は他者の句に対して「文法を語らず俳句を語れ」と肝に銘じているのですが、これとても、「知らず」と「破る」との違いを一句に読み取れるかどうか、という私の技量の問題がついて回ります。時に、文語文法無知の身の失礼を顧みず、“舌頭千転” の後であるならば、“平成の文語” で充分、などとも思ってしまいます。

ところで、芭蕉の「俳諧は気に乗せてすべし」に対する山下の「気は作者の側にあるだけでなく、対象の側にもある」は、もしかして、大森荘蔵の「天地有情」に通じてしまうのかも知れません。そのことを考えていたら、あっという間に大船に帰り着いてしまいました。

 

郁良編集長に6月号に掲載される筈の10句稿をメールにて送信。タイトルは「午後からの雨」、昨日の句会で道夫先生に揶揄された「雨は午後から降り出す」なのです。それ故、今後の私は、二度と午後から雨を降り出させてはいけない、なのです。とは言っても、朝から雨を降らすのも難儀、如何ともし難き事態と相成り申し候の故、雨男、返上しちゃいましょうか・・・。

 

午前中、ケーブルテレビの方がインターネットの接続状況を調べに。モデムその他、まったく問題ありません、とのこと。その青年、自身は“7”を使っているのだそうな。業務の必要上、時に“8”も使うのだそうで、馴染めないのだそうな。“XP”の終了、やはり一つの時代の終わりなのかも知れません。老人が苦戦するのは当然のこと、なのです。

 

午後、勤務先に休日出勤。帰路、ジュンク堂にて文庫本を一冊。藤沢からは久し振りに江ノ電で腰越まで、そしてバス停三つ分を歩いて帰宅。曇り空の東の山の端に、満月まであと一歩の月が、雲の裏から雲をぼんやりと明るくしていました。